世界が崩れた瞬間、 空気はまず「形」を失った。
少女の世界の空気は、 影の世界の空気と混ざり合うことを拒み、 第三の世界の空気と触れた途端に、 色を変え、温度を変え、密度を変え、 まるで三種類の呼吸が同時に肺へ押し寄せるような 異常な圧迫を生み出した。
少女は影の内側で息を吸った。 吸った瞬間、肺の中で三つの空気が衝突し、 胸の奥が一瞬だけ「別の場所」へ跳ねたように痛んだ。
息を吸うたびに、 胸腔の形が変わる。 吸った空気が、 少女の内側の世界の床を震わせ、 影の世界の空を歪ませ、 第三の世界の地平を波打たせる。
呼吸ひとつで世界が揺れる。 その揺れは、 もはや少女の意思とは関係がなかった。
「……息をするだけで…… 世界が…… ずれていく……」
少女は胸を押さえた。 押さえた手のひらの下で、 自分の心臓が「三つの鼓動」を同時に刻んでいるのを感じた。
一つは少女の世界の鼓動。 一つは影の世界の鼓動。 一つは第三の少女の世界の鼓動。
三つの鼓動が、 互いを否定しながら同時に鳴っている。
胸の奥で、 世界が三重に脈打っていた。
影の少女は、 外側の世界の静止した空を見上げていた。
空は、 影の少女が指を動かすたびに揺れるはずだった。 しかし今は、 指を動かしても空は動かない。
動かない空は、 影の少女の動きを「観測しない」。
観測されない動きは、 世界に影響を与えない。
影の少女は、 自分の指先が「世界の時間」ではなくなったことを理解した。
指を曲げる。 空は沈黙したまま。
指を開く。 地平は微動だにしない。
「……私の動きが…… 世界に届かない…… 世界が…… 私を無視してる……」
影の少女は、 自分の身体の輪郭が 世界の表面からわずかに浮いていることに気づいた。
世界が彼女を「地面として扱っていない」。 世界が彼女を「空として扱っていない」。 世界が彼女を「時間として扱っていない」。
影の少女は、 世界から切り離されつつあった。
第三の少女は、 三界の断片が混ざり合う中心に立っていた。
彼女の足元では、 少女の世界の床が、 影の世界の地面が、 第三の世界の地平が、 互いを押し合い、 互いを削り合い、 互いを上書きし合っていた。
三種類の地面が、 同じ場所に同時に存在しようとして、 その結果、 「どれでもない地面」が生まれ始めていた。
踏めば沈む。 沈んだと思えば浮く。 浮いたと思えば遠ざかる。
第三の少女は、 その地面を見下ろしながら呟いた。
「……世界が…… 新しい形を作ろうとしている…… 誰の世界でもない…… 第四の世界……」
彼女の声は、 三界の断片を震わせた。
震えた断片は、 空へ向かって噴き上がった。
床の破片が空へ。 空の破片が地平へ。 地平の破片が床へ。
世界の断片が、 互いの位置を奪い合いながら 空中で新しい形を作り始めた。
その形は、 床でも空でも地平でもなかった。
それは「面」だった。
しかし、 面と呼ぶにはあまりにも不安定だった。
踏めば沈む。 見上げれば落ちてくる。 触れれば遠ざかる。
少女は震えた。
「……これ…… 何……? 触った瞬間…… 逃げる…… 私の手を…… 拒んでる…… 世界が…… 私を拒んでる……?」
影の少女は、 その面を見て眉をひそめた。
「私が動いても…… 反応しない…… 私の動きが…… この面に届かない…… ここは…… 私の世界じゃない……」
第三の少女は、 その面へ手を伸ばした。
触れた瞬間、 面は「形」を持った。
床でも空でも地平でもない、 第四の世界の表面。
世界は、 三人の少女の存在を前提にすることをやめ、 新しい前提を作り始めた。
「世界は…… 私を基準に動く。」
第三の少女の声は、 世界の断片を震わせた。
震えた断片は、 三人の少女を同時に引きずり込んだ。
少女は叫んだ。
「いや!! 私は…… 消えない!! 私は…… 私の世界を取り戻す!!」
影の少女は叫んだ。
「私は本物!! 私は世界を支配する!! 私は消えない!!」
第三の少女は静かに言った。
「世界は、 私を選ぶ。」
第四の世界は―― 三人を飲み込んだ。