INDEPENDENT / NON-CANON
『まだ、閉じない。|理沙と美咲』/第一連作
『観測者圏』の人物・世界設定を用いた独立した非正史作品です。本編正史には影響しません。
綾音理沙が澄架美咲を休日に誘おうと思った最初のきっかけは、植物の写真だった。少なくとも、綾音はそう整理していた。
昼休み。CDPIの共用スペースで、澄架は私用端末を見ていた。画面には大きな葉が映り、次には白い花、その次には温室らしい場所の写真が現れた。
仕事中の澄架はAUTH――認証状態や権限、記録上の本人性を扱う担当者として、曖昧な一致を嫌う。けれど写真を見ている今の顔には、何かを判定しようとする鋭さがなかった。
綾音は立ち止まらず、その横を通り過ぎた。ただ、覚えた。
午後の合同Reviewでは、いつもの澄架に戻っていた。
「綾音さん。この三件、表示順と取得順が違っています」
「確認します」
綾音のTIME側では、出来事がいつ発生し、いつ取得され、どの順序で並ぶかを分けて扱う。画面を確認すると、澄架の指摘どおりだった。
「取得順はこちらが先です」
「では、AUTH側で置いている順番も一度外します」
「お願いします」
澄架は、自分が置いた判断へ執着しなかった。違うと分かれば、理由を足して最初から正しかったことにはしない。綾音は以前から、そのところを信頼していた。
「綾音さん」
「はい」
「何かあります?」
「何がですか」
「さっきから、こちらを見ています」
そこで初めて、自分の視線に気づいた。
「すみません」
「仕事の話ならどうぞ」
「いえ。仕事ではありません」
そう答えると、澄架は少し不思議そうな顔をした。
翌日も、その次の日も、綾音は植物のことを訊かなかった。業務中だったし、訊く必要もなかった。
三日目の休憩で、ようやく二人きりになった。
「澄架さん。植物は好きですか」
「急ですね」
「すみません」
「謝ることではないですけど。好きですよ」
「詳しいですか」
「好きと詳しいは別です」
「そうですね」
すぐ分けられる。その答えが少し嬉しかった。
「植物園へ行くことはありますか」
「たまに。綾音さんは?」
「学生の頃に一度だけ」
「楽しかった?」
綾音は記憶を探した。
「展示内容は充実していました」
澄架が吹き出した。
「楽しかったか訊いたんです」
「同じではありませんか」
「違います」
言われて考える。
「では、悪くなかったです」
「さらに遠ざかった」
澄架は笑った。
植物園へ一緒に行ったら、澄架はどんな顔をするのだろう。その疑問が残った。ただの疑問なら、解決方法は単純だった。
けれど、綾音はすぐには誘えなかった。
その夜、本を開いても、ときどき同じ問いが戻ってきた。植物が好きだから誘う。それだけなら、近くに植物園があると教えればいい。企画展示をしていると言えば、それで終わる。
自分もそこにいたい。
そこだけが、うまく説明できなかった。
翌日の合同Reviewで、今度は澄架が綾音の記述を止めた。
「このTimestamp一致だけで、同一事象の支持まで上げていません?」
綾音は読み返した。
「上げています」
「TIMEとして、そこまで言えます?」
「言えません。撤回します」
「お願いします」
Review終了後、澄架が資料を閉じた。
今でなければ、また理由の整理を始める気がした。
「澄架さん」
「はい」
「少し時間がありますか」
「十分くらいなら」
「十分は要りません」
「何でしょう」
二人は人の流れから少しだけ離れた。隠れるほどではない。ただ、業務の会話と混ざらない程度の距離だった。
「来週の土曜日、予定はありますか」
「今のところ、ないです」
「では――私と出かけませんか」
澄架が瞬いた。
「二人で?」
「はい」
「仕事じゃなく?」
「はい」
「休日に?」
「はい」
三回確認され、綾音は少し不安になった。
「嫌でしたか」
「違います。どういう誘いなのか確認しています」
「どういう」
「研究所のみんなで何かするとか、資料を見に行くとか」
「違います」
「本当に二人で出かける?」
「はい」
短い沈黙のあと、澄架が笑った。
「行きたいです」
綾音は、自分でも気づいていなかった力を肩から抜いた。
「よかった」
「どこへ?」
「植物園を考えています」
「覚えてたんですね。私が植物を見ていたこと」
「はい。先月です」
「日付まで言わなくていいです」
「まだ言っていません」
「言える顔しています」
綾音も少し笑った。
「一緒に行ったら、澄架さんがどういうものを見るのか知りたいと思いました」
澄架は少しだけ黙った。
「変でしたか」
「いいえ。むしろ、思っていたより嬉しいです」
今度は綾音の返事が遅れた。
「……そうですか」
「はい」
その場で決めたのは、待ち合わせの場所と時刻だけだった。
「他は?」と綾音が訊く。
「あとで決めましょう」
「あとで」
「全部いま決めなくても、土曜日は来ます」
綾音には少し落ち着かなかった。それでも、「分かりました」と答えた。
帰宅後、待ち合わせしか決めなかったはずなのに、端末には植物園、カフェ、書店、混雑予測、移動時間、雨天候補が次々と増えた。途中で自分でも多いと思ったが、削れなかった。
土曜日。二人で出かける。
まだ、その時間に名前はついていなかった。