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00|名前のない予定

INDEPENDENT / NON-CANON

『まだ、閉じない。|理沙と美咲』/第一連作

『観測者圏』の人物・世界設定を用いた独立した非正史作品です。本編正史には影響しません。

綾音理沙が澄架美咲を休日に誘おうと思った最初のきっかけは、植物の写真だった。少なくとも、綾音はそう整理していた。

 昼休み。CDPIの共用スペースで、澄架は私用端末を見ていた。画面には大きな葉が映り、次には白い花、その次には温室らしい場所の写真が現れた。

 仕事中の澄架はAUTH――認証状態や権限、記録上の本人性を扱う担当者として、曖昧な一致を嫌う。けれど写真を見ている今の顔には、何かを判定しようとする鋭さがなかった。

 綾音は立ち止まらず、その横を通り過ぎた。ただ、覚えた。

 午後の合同Reviewでは、いつもの澄架に戻っていた。

「綾音さん。この三件、表示順と取得順が違っています」

「確認します」

 綾音のTIME側では、出来事がいつ発生し、いつ取得され、どの順序で並ぶかを分けて扱う。画面を確認すると、澄架の指摘どおりだった。

「取得順はこちらが先です」

「では、AUTH側で置いている順番も一度外します」

「お願いします」

 澄架は、自分が置いた判断へ執着しなかった。違うと分かれば、理由を足して最初から正しかったことにはしない。綾音は以前から、そのところを信頼していた。

「綾音さん」

「はい」

「何かあります?」

「何がですか」

「さっきから、こちらを見ています」

 そこで初めて、自分の視線に気づいた。

「すみません」

「仕事の話ならどうぞ」

「いえ。仕事ではありません」

 そう答えると、澄架は少し不思議そうな顔をした。

 翌日も、その次の日も、綾音は植物のことを訊かなかった。業務中だったし、訊く必要もなかった。

 三日目の休憩で、ようやく二人きりになった。

「澄架さん。植物は好きですか」

「急ですね」

「すみません」

「謝ることではないですけど。好きですよ」

「詳しいですか」

「好きと詳しいは別です」

「そうですね」

 すぐ分けられる。その答えが少し嬉しかった。

「植物園へ行くことはありますか」

「たまに。綾音さんは?」

「学生の頃に一度だけ」

「楽しかった?」

 綾音は記憶を探した。

「展示内容は充実していました」

 澄架が吹き出した。

「楽しかったか訊いたんです」

「同じではありませんか」

「違います」

 言われて考える。

「では、悪くなかったです」

「さらに遠ざかった」

 澄架は笑った。

 植物園へ一緒に行ったら、澄架はどんな顔をするのだろう。その疑問が残った。ただの疑問なら、解決方法は単純だった。

 けれど、綾音はすぐには誘えなかった。

 その夜、本を開いても、ときどき同じ問いが戻ってきた。植物が好きだから誘う。それだけなら、近くに植物園があると教えればいい。企画展示をしていると言えば、それで終わる。

 自分もそこにいたい。

 そこだけが、うまく説明できなかった。

 翌日の合同Reviewで、今度は澄架が綾音の記述を止めた。

「このTimestamp一致だけで、同一事象の支持まで上げていません?」

 綾音は読み返した。

「上げています」

「TIMEとして、そこまで言えます?」

「言えません。撤回します」

「お願いします」

 Review終了後、澄架が資料を閉じた。

 今でなければ、また理由の整理を始める気がした。

「澄架さん」

「はい」

「少し時間がありますか」

「十分くらいなら」

「十分は要りません」

「何でしょう」

 二人は人の流れから少しだけ離れた。隠れるほどではない。ただ、業務の会話と混ざらない程度の距離だった。

「来週の土曜日、予定はありますか」

「今のところ、ないです」

「では――私と出かけませんか」

 澄架が瞬いた。

「二人で?」

「はい」

「仕事じゃなく?」

「はい」

「休日に?」

「はい」

 三回確認され、綾音は少し不安になった。

「嫌でしたか」

「違います。どういう誘いなのか確認しています」

「どういう」

「研究所のみんなで何かするとか、資料を見に行くとか」

「違います」

「本当に二人で出かける?」

「はい」

 短い沈黙のあと、澄架が笑った。

「行きたいです」

 綾音は、自分でも気づいていなかった力を肩から抜いた。

「よかった」

「どこへ?」

「植物園を考えています」

「覚えてたんですね。私が植物を見ていたこと」

「はい。先月です」

「日付まで言わなくていいです」

「まだ言っていません」

「言える顔しています」

 綾音も少し笑った。

「一緒に行ったら、澄架さんがどういうものを見るのか知りたいと思いました」

 澄架は少しだけ黙った。

「変でしたか」

「いいえ。むしろ、思っていたより嬉しいです」

 今度は綾音の返事が遅れた。

「……そうですか」

「はい」

 その場で決めたのは、待ち合わせの場所と時刻だけだった。

「他は?」と綾音が訊く。

「あとで決めましょう」

「あとで」

「全部いま決めなくても、土曜日は来ます」

 綾音には少し落ち着かなかった。それでも、「分かりました」と答えた。

 帰宅後、待ち合わせしか決めなかったはずなのに、端末には植物園、カフェ、書店、混雑予測、移動時間、雨天候補が次々と増えた。途中で自分でも多いと思ったが、削れなかった。

 土曜日。二人で出かける。

 まだ、その時間に名前はついていなかった。