前作の“距離が縮まる幻視”という構造を活かしつつ、 最後の一段で世界そのものが反転するタイプのどんでん返しを入れました
五メートル先に立つ少女の幻視は、日に日に距離を縮めてきた。 四メートル、三メートル、二メートル……。
医師は言った。
「シャルル・ボネ症候群です。幻視は現実ではありません」
だが、昨夜―― 一メートルの距離で、少女は髪の隙間から私を見た。
「返して……」
声まで聞こえた。 幻視に“音”はないはずなのに。
私は恐怖で気を失い、朝を迎えた。
部屋の隅には、いつもの“影”。 五メートルの位置にだけ、光が届かない。
私は震える手でスマホを取り、医師に電話した。
「先生……幻視が、近づいてくるんです。声まで……」
電話の向こうで、医師は沈黙した。 そして、ゆっくりと言った。
「……あなた、まだ“見えている”んですか?」
「え?」
「あなたの視力は、もうほとんど残っていないはずです。 昨日の検査で、光も形も判別できないレベルでしたよ」
私は言葉を失った。
「でも……見えるんです。少女が。部屋も。家具も……」
医師は深く息を吸い、告げた。
「――それ、全部“幻視”です」
背筋が凍った。
「あなたが“現実”だと思っている部屋も、家具も、 その少女も、すべて脳が作り出した像なんです」
私は思わず周囲を見回した。 壁紙、窓、時計、テーブル…… どれも、昨日までと同じ“はず”の風景。
「じゃあ……私は今、どこに?」
医師は答えなかった。 代わりに、遠くで誰かの声がした。
「先生、反応ありました。 眼前五メートルで、患者さんがこちらを見ています」
五メートル。
私はゆっくりと振り返った。
そこに―― 白衣の医師たちが立っていた。
五メートル先で、私を見つめている。
その瞬間、理解した。
五メートル先に“少女”がいたのではない。 五メートル先に“現実”があったのだ。
少女は、私の視力が失われていく過程で生まれた“境界線”。 現実と幻視の境目に立つ、最後の“見える像”。
そして今―― 境界線が消えた。
医師が言った。
「ようやく……こちらが見えましたか」
私は震える声でつぶやいた。
「じゃあ……あの少女は?」
医師は静かに答えた。
「あなた自身ですよ。 “見える世界”を失う恐怖が、あなたの姿を借りて現れたんです」
その言葉を聞いた瞬間、 私の背後で、少女の声がした。
「返してよ……“私の世界”を……」
振り返ると、そこには―― もう誰もいなかった。
ただ、五メートル先の現実だけが、 冷たく、はっきりと、私を見ていた。

コメント