「医師が“正常な側”ではない」という方向ではなく、 もっと深く、もっと心理をねじり切るために――“医師が、患者の幻視の一部だった” という構造で書きました。ただし、単純などんでん返しではなく、 読者が「どこまでが現実だったのか」判断できなくなる二重反転に仕上げています。
五メートル先に少女が立つ。 白いワンピース。髪で顔が隠れている。
私は毎週、眼科の医師に相談していた。
「シャルル・ボネ症候群です。幻視は現実ではありません」
医師はいつも同じ言葉を繰り返す。 その声は落ち着いていて、妙に安心させられた。
だが、少女は近づいてくる。 四メートル、三メートル、二メートル。
ある日、私は医師に言った。
「先生……少女が、私の気持ちに反応するんです」
医師は静かに答えた。
「それは幻視ではありませんね」
私は息を呑んだ。
「じゃあ……何なんですか?」
医師は言った。
「あなたの脳が、あなた自身を“外側に投影”しているんです。 少女は、あなたの感情の像です」
私は震えた。
「じゃあ……私は何を感じているんですか?」
医師は少しだけ微笑んだ。
「それを知るために、少女は近づいているんですよ」
■ その夜
少女は一メートルの距離にいた。
私は恐怖よりも、奇妙な懐かしさを感じた。
「あなた……私なの?」
少女はこくりと頷いた。
その瞬間、背後で声がした。
「ようやく気づきましたね」
振り返ると、医師が立っていた。
五メートル先に。
白衣を着て、穏やかな笑みを浮かべて。
私は混乱した。
「先生……どうしてここに?」
医師はゆっくりと近づいてきた。
「あなたが呼んだからですよ」
「呼んだ……?」
医師は言った。
「あなたは“少女”だけでなく、 私の姿も作り出していたんです」
私は息を呑んだ。
「じゃあ……診察室で話していたのは?」
医師は首をかしげた。
「あなたの脳内ですよ。 私はあなたの“理性の像”です」
少女が私の手を握った。 冷たくて、震えていた。
医師が続けた。
「あなたは、感情を少女に、 理性を私に投影していた。 どちらも幻視です」
私は叫んだ。
「じゃあ……私は誰と話していたの?」
医師は微笑んだ。
「自分自身ですよ。 あなたはずっと、自分の中の“二人”と会話していたんです」
少女が囁いた。
「返して……」
医師も同時に囁いた。
「返して……」
二人の声が重なった。
「あなた自身を返して」
視界が白く弾けた。
■ 朝
私はベッドで目を覚ました。
部屋は静かで、誰もいない。
五メートル先にも、少女はいない。 医師もいない。
ただ――
五メートル先にだけ、椅子が置かれていた。
そこに誰かが座っていた“形跡”だけが残っている。
私は震えながら呟いた。
「……どっちが、私だったんだ?」
返事はない。
だが、胸の奥で、 少女と医師の声が同時に囁いた気がした。
「五メートル先にいるのは、いつだって“あなた”ですよ」


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