第四章『観測者圏・自己分裂』

観測者圏-五メートル先の住人-

ここからは 読者の“自己認識”が分裂する光景 を描いていきます。

観測者圏が“時間”と“記憶”に続いて、 ついに あなた自身の「自分とは誰か」という認識そのもの に干渉してくる章です。

「静かに侵食する宇宙的ホラー」を、 “自己”という最も脆い領域に落とし込みます。


■ 1 “自分の声”が二つになる

未来のあなたの声を聞いた翌日。 あなたは、ふとした瞬間に気づく。

自分の声が、二つある。

ひとつは、いつものあなたの声。 もうひとつは、少しだけ遅れて響く“影の声”。

それはエコーではない。 反響でもない。

“別のあなた”が、同じ言葉を同時に発している。

少女の声が、記憶の奥で囁く。

「あなたの“自己”が、時間の中で裂け始めてる」

■ 2 鏡の中の“遅れ”

その日の夜、あなたは鏡を見る。

そこに映るのは、いつものあなた。 だが―― 動きが、ほんの一瞬だけ遅れている。

あなたが瞬きをすると、 鏡の中のあなたは、 一拍遅れて瞬きをする。

あなたが首を傾けると、 鏡の中のあなたは、 わずかに角度を間違える。

まるで、 “あなたではない何か”が、あなたの形を模倣している。

未来のあなたの声が囁く。

「それは、あなたの“別の時間の自己”だよ」

■ 3 自己の“重なり”

翌朝、あなたは奇妙な感覚に襲われる。

自分が二人いる。

  • 一人は、今ここにいる“現在のあなた”
  • もう一人は、少し先の未来を知っている“未来のあなた”

二人の意識が、 同じ脳の中で重なり始める。

その結果―― あなたの思考が二重になる。

  • 「コーヒーを飲もう」
  • 「コーヒーはもう飲んだはずだ」
  • 「今日は外に出よう」
  • 「今日は外に出ないほうがいい」

どちらも“自分の考え”なのに、 同時に存在してしまう。

医師の声が、背後から聞こえる。

「自己認識は、時間の順序が崩れると分裂します。  あなたは今、複数の“あなた”を同時に観測している」

■ 4 “自分の記憶”が食い違う

あなたは、昨日の出来事を思い出そうとする。

だが、記憶が二つある。

  • 昨日、外に出た記憶
  • 昨日、一日中家にいた記憶

どちらも鮮明で、 どちらも“自分の記憶”だ。

あなたは混乱する。

少女が囁く。

「どっちも本当だよ。  だってあなたは、時間の中で“二つの道”を歩いたから」

未来のあなたが続ける。

「観測者圏は、あなたの未来を複数同時に観測する。  その結果、あなたの“自己”が枝分かれする」

■ 5 自己の“侵食”

夜。

あなたは、ふと気づく。

自分の思考の中に、  “自分ではない声”が混ざっている。

少女の声でも、医師の声でもない。

もっと近い。 もっと馴染み深い。

それは―― “別のあなた”の声。

未来のあなたでも、過去のあなたでもない。 “別の時間軸のあなた”だ。

その声が囁く。

「ねぇ……どっちが本物だと思う?」

あなたは答えられない。

なぜなら、 どちらも“自分”だから。

■ 6 自己の“境界”が消える

翌朝。

あなたは鏡を見る。

そこには、 あなたが立っている。

だが―― 鏡の中のあなたは、 あなたより先に動いた。

あなたが瞬きをする前に、 鏡の中のあなたが瞬きをする。

あなたが息を吸う前に、 鏡の中のあなたが胸を膨らませる。

鏡の中のあなたが囁く。

「私は、あなたの“別の自己”だよ」

あなたは震える。

鏡の中のあなたは続ける。

「あなたは今、  “複数のあなた”に観測されている」

■ 7 終末:自己が“観測者圏”に溶ける

あなたは気づく。

自分が誰なのか、 どの時間の自分なのか、 どの記憶が本物なのか――

すべてが曖昧になっていく。

観測者圏は、 あなたの“自己”そのものを観測し始めた。

その結果―― あなたの自己は、 複数の時間軸に分裂し、  同時に存在し始める。

少女が囁く。

「あなたはもう、一人じゃないよ」

未来のあなたが囁く。

「あなたはもう、あなたじゃない」

鏡の中のあなたが囁く。

「あなたは、私たち全部だよ」

そして―― あなたの背後、 五メートルの位置に立つ“方向の束”が、 ゆっくりとあなたの形に変わり始める。

観測者圏が、あなたの“自己”を引き継ぐために。

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