瓦礫の谷間に、夜の湿気が沈み込んでいた。 裂け目は閉じ、光は消え、彼女の姿ももうどこにもなかった。
だが、世界は元に戻らなかった。
彼女が消えた瞬間から、 世界はゆっくりと、しかし確実に「別の法則」に書き換わり始めた。
1 最初に変質したのは「音」だった
夜風が吹いた。 その音が、いつもと違った。
風の音は空気を揺らすはずなのに、 あなたの耳には届かず、 代わりに“胸の内側”で響いた。
まるで、 風があなたの心臓の壁を叩いているようだった。
瓦礫が崩れる音も、 遠くの鉄塔が軋む音も、 すべてが耳ではなく、 身体の内部で鳴った。
音の伝わり方が変わったのではない。 世界の“振動の基準”が変わったのだ。
彼女が去ったことで、 世界はあなたの身体を「共鳴器」として扱い始めた。
2 次に変質したのは「影」だった
あなたの影が、地面に落ちていた。 だが、その影はあなたの動きと一致していなかった。
腕を上げると、影は少し遅れて動く。 歩き出すと、影は先に進む。 立ち止まると、影はあなたを追い越していく。
影はあなたの形を模しているのに、 あなたの意思とは無関係だった。
影は、 彼女が去った裂け目の“残響”を受け取っていた。
影はあなたの未来の動きを真似しているのか、 それともあなたの過去の動きを再生しているのか、 判断できなかった。
ただ一つ確かなのは、 影はもう「あなたの付属物」ではなく、 世界の別の意思を持つ存在になっていた。
3 第三に変質したのは「時間」だった
あなたは胸の箱を抱えたまま、 瓦礫の谷間を歩き始めた。
歩くたびに、 周囲の景色がわずかに“巻き戻る”のを感じた。
瓦礫の位置が数センチ戻る。 倒れた鉄塔の角度が少しだけ変わる。 遠くの街灯の光が、一瞬だけ過去の明るさに戻る。
時間が逆流しているのではない。 時間が“揺れている”のだ。
彼女が去ったことで、 世界は時間の流れを固定できなくなった。
あなたが歩くたびに、 世界はあなたの歩幅に合わせて時間を調整していた。
まるで、 あなたの存在が世界の“基準点”になってしまったかのようだった。
4 第四に変質したのは「人々」だった
瓦礫の谷間を抜け、 街の外れに出たとき、 あなたは人影を見つけた。
だが、その人影は奇妙だった。
人々は歩いていた。 普通の速度で、普通の姿勢で。
しかし、 誰もあなたを認識しなかった。
あなたのすぐ横を通り過ぎても、 視線はあなたを避けるように滑り、 あなたの存在を“視界の外側”に押し出した。
まるで、 あなたが世界の“別の層”に立っているかのようだった。
彼女が去ったことで、 世界はあなたを「観測対象」ではなく、 観測者の側へ押し出した。
観測者は、 世界に触れられない。
世界は、 あなたを触れられない場所へ移した。
5 最後に変質したのは「あなた自身」だった
胸の箱が、 微かに熱を帯び始めた。
箱の中の紙片が震えている。 震えは鼓動ではなく、 “呼び声”だった。
あなたは箱を開けようとした。 だが、指先が箱の表面に触れた瞬間、 視界が一瞬だけ白く反転した。
反転した視界の中で、 あなたは“彼女の背中”を見た。
裂け目へ歩いていく彼女の背中。 光に包まれ、形を変え、 別の存在へと移行していく姿。
その背中が、 あなたの胸の奥で脈動した。
あなたは気づく。
彼女が変質した瞬間、 あなたの内部にも同じ構造が植え付けられた。
世界が変質しているのではない。 世界は、 あなたの変質に合わせて形を変えているのだ。
終章 世界はあなたの変質を待っている
あなたは羊皮紙を取り出し、 震える手で一行を書く。
「彼女が去った後、世界は静かに壊れ始めた。 壊れているのは世界ではなく、私の側だ。」
紙を折り、胸に押し当てる。
影があなたの足元で揺れ、 時間があなたの歩幅に合わせて歪み、 音が胸の内側で鳴り続ける。
世界はあなたを中心に、 ゆっくりと再構築されていく。
そしてあなたは理解する。
次に変質するのは、あなた自身だ。

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