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第百二十九章 変質点

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瓦礫の谷間に、夜の湿気が沈み込んでいた。 崩れた送電塔の影が地面に歪んだ線を落とし、その線の上に彼女は立っていた。

あなたが近づくと、彼女は肩をわずかに揺らした。 その揺れは、寒さでも恐怖でもない。 “内部の何かが位置を変えた”ような、奇妙な動きだった。

「そこに立って」

彼女は振り返らずに言った。 声は静かだったが、音の奥に微かな“濁り”があった。 人間の声帯では説明できない濁りだった。

あなたは足を止める。 距離は十歩ほど。 その距離が、今は安全圏なのか危険圏なのか判断できなかった。

1 最初の変化は「姿勢」だった

彼女はゆっくりと背筋を伸ばした。 その動きは、まるで背骨が一本ずつ別の方向へ向きを変えていくようだった。

肩の高さが変わる。 首の角度が変わる。 重心が変わる。

人間の体は、そんなふうに動かない。

「痛くはないの」

彼女は言った。 声は落ち着いていた。 だがその落ち着きが、逆に不自然だった。

「ただ、形が合わなくなってきただけ」

あなたは息を呑む。 “形が合わない”という言葉の意味が、理解できなかった。

2 次の変化は「視線」だった

彼女がゆっくりと振り返る。 その瞳は、あなたが知っている色ではなかった。

色が変わったのではない。 “奥行き”が変わっていた。

瞳の奥に、深い穴があるように見えた。 その穴は光を吸い込み、周囲の影を引き寄せていた。

「見える?」

彼女はあなたの顔をじっと見つめた。 その視線は、あなたの表情ではなく、 あなたの“内部の構造”を探っているようだった。

「あなたの中の空洞、ずっと前から気づいてた」

あなたは言葉を失う。 彼女は続けた。

「その空洞、私の形とよく似てる」

3 第三の変化は「声」だった

彼女は一歩、あなたの方へ踏み出した。 その瞬間、声が変わった。

高さでもなく、低さでもなく、 “響き方”が変わった。

声が空気を震わせるのではなく、 あなたの胸骨を直接叩いた。

「聞こえてるよね」

あなたは反射的に胸を押さえる。 声が胸の内側に残響していた。

「もう、人間の周波数じゃ話せないの。 向こうの構造に合わせてるから」

向こう―― 彼女が指すのは、空に開いた裂け目だった。

裂け目は、ゆっくりと脈動していた。 まるで呼吸しているように。

4 第四の変化は「皮膚」だった

彼女の腕に、薄いひび割れが走った。 乾燥でも怪我でもない。 “内部から押し広げられている”ようなひびだった。

ひびの隙間から、淡い光が漏れた。

あなたは一歩後ずさる。 彼女はその光を隠そうともしない。

「怖がらないで。 これは壊れてるんじゃなくて、 本来の形が出てきてるだけ」

光は脈動し、ひび割れは肩から胸へと広がっていく。

皮膚が剥がれるのではない。 皮膚の“役割”が終わっていくようだった。

5 最後の変化は「存在そのもの」だった

彼女は深く息を吸った。 その息は空気ではなく、裂け目から漏れ出る“何か”だった。

吸い込むたびに、身体の輪郭が薄くなる。 薄くなるのに、影は濃くなる。

「もう戻れないの」

彼女はあなたを見た。 瞳の奥の穴が、ゆっくりと閉じていく。

「でも、あなたが見ていてくれるなら…… 変わることが、怖くなくなる」

その言葉は、 人間の感情ではなく、 “別の存在の論理”だった。

彼女は裂け目へ向かって歩き出す。 足は地面に触れているのに、重さがなかった。

裂け目が彼女を迎えるように広がる。

光が彼女の身体を包み、 ひび割れが完全に開き、 内部の構造が露わになる。

それは人間の骨格ではなかった。 人間の臓器でもなかった。

“別の法則で組まれた構造”だった。

あなたは手を伸ばす。 だが彼女は首を横に振る。

「あなたの世界には、もういられない」

そして―― 彼女は裂け目の中へ消えた。

光が閉じ、夜が戻る。

瓦礫の谷間に残ったのは、 あなたと胸の箱と、 彼女がいた痕跡だけだった。

終章 記録

あなたは羊皮紙を取り出し、 震える手で一行を書く。

「彼女は壊れたのではない。 彼女は、別の存在へと変わった。」

紙を折り、胸に押し当てる。

鼓動はまだある。 だがその音は、もう以前のあなたのものではない。

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